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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1951-10-25 第12回国会 衆議院 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第9号

また英米等終戰後約一年半の間に、戰争中の陸海空軍を約十分の一に減らしてしまつた。さらに英米の志とするところは、国連において他の列国と協議して、軍備の一段の縮小をはかる考えでございました。ところが共産主義国家は、戰時中の巨大なる軍備の大半を今日まで持して来ておる。同時に国連の円満なる運営に対して、あらゆる妨害を加えておる。

守島伍郎

1951-05-23 第10回国会 衆議院 郵政委員会 第8号

終戰後約五箇年有余を迎えた今日、いまだに帰国不可能なる者がさらに三十有七万人を数えられております。その留守家族約百十七万人の同胞が、あらゆる精神的打撃生活苦にあえいでおる惨状は、政府におかれても、また国会におかれましても十二分に御承知のことと思います。あるいは特殊の家族生活保護法による救護はあるでございましよう。

庄司一郎

1950-11-14 第8回国会 参議院 建設委員会 閉会後第8号

ですけれども、やらなければいかんという場合は終戰後約五億円くらい、こういうものに対してお金を分担して地方の都市計画に応ずるところの停車場本屋の建設ということはやつて来たのでございます。ただ非常に莫大なまだ仕事があるので、どうも国鉄だけではやり切れない、何とかして公共事業費のようなものを国家から出して頂いてやりたいのだという希望が今我々として強いのであります。

立花二郎

1950-04-02 第7回国会 参議院 予算委員会 第26号

そこで幾らかでも大蔵大臣は情勢の見通しによりまして、そうした物件費やいろいろな変化によつて、この幅が出た場合、そうした場合は、こう幾らか、今まで借金をずうつと終戰後約五年間、この赤字を続けているのが国家公務員生活でありますから、限りなく愛して、又民自党も限りなく愛していらつしやる。私も民自党を相当愛しています。(笑声)昭和二十三年二月十一日、参議院における総理大臣指名選挙で二票勝つた。

小川友三

1950-02-07 第7回国会 衆議院 予算委員会 第10号

今日この人口割合がどうなつておるかということは、はつきりした資料を持ちませんけれども終戰後約六百五十万人ふえ、昨年だけでも二百十三万人という人口がふえておつて、相当ふえておるということが考えられるわけです。そうすると昭和五年から九年、ころの分配所得割合と、今日とほぼ同様な割合になつておると私は考えるわけです。

今井耕

1949-05-28 第5回国会 衆議院 商工委員会 第24号

そこで終戰後約三年でありますか、九州火力発電所の復旧に全力を盡しまして、本年の渇水期におきましては、大体三十八万キロ程度までは復旧いたしたいと考えております。言葉をかえて申しますと、應急復旧に対しましては、九州火力発電所は完成とは申しかねるのでありますが、ほぼ予定通りいたしまして、需給の逼迫を緩和するというよりも、何とかして需給のつじつまを合わせたいと考えております。

進藤武左エ門

1949-03-31 第5回国会 衆議院 建設委員会 第3号

戰災、間引疎開その他によりまして滅失いたしました住宅戸数は約四百数十万戸と考えられておつたのでございますが、終戰後約三箇年間に建設せられました住宅が約百四、五十万戸ございます。従いまして今日の住宅不足数は約三百万戸、それに三箇年の間に災害を受けましたものが数十万戸ございますので、約三百数十万戸の住宅不足数があると推定せられておつたのでございます。

鎌田隆男

1948-11-27 第3回国会 衆議院 大蔵委員会 第10号

終戰後約五万俵積みましたが、八ドルとかそのへんで賣れたのはごくわずかな俵数であります。その後御承知通りナイロンの発達によりまして、ほとんど日本の生糸の消費量の八割が向けられておりました靴下のごときは一つも需要がない。すべてナイロンに押されておる。それから人絹及びスフの生産が非常にアメリカもふえております。

永井幸太郎

1948-07-26 第2回国会 参議院 通信委員打合会 閉会後第1号

その法案の草案に着手いたしたのは昨年の春でございまして、このときの放送事業状況はどうなつておつたかと申しますと、只今も電波局長から簡單にお話申上げたのでございますが、丁度終戰後約二年を経過いたしまして新らしい憲法を施行せられまして、すべての法規を新らしい憲法の基きましてこれに合うように直して行こうということで、日本全部の法律につきまして檢討が行われ始めたときであります。

鳥居博

1947-08-25 第1回国会 参議院 運輸及び交通委員会 第7号

大體の實績を申しますというと、これは八月十五日の現在でありますが、終戰後約二ケ年間におきまして沈船を處理した状況は、總トン數百トン以上の鋼船が百三隻、約十九萬トンばかり處理しておるのであります。それから百トン未滿の鋼船及び機帆船、いわゆる小さいものでありますが、それは四百四十一隻、トン數で八萬トンばかり引揚げて、これが處理をやつておるような次第であります。

有田喜一

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